丹賀砲塔砲台へ行ってきた [ぶらぶら]


 
 
 
 
 
 
 
これは・・ 1月のこと、
 
 
丹賀砲塔砲台を見てきました。
 
 寒さに負けた腰抜けライダー、 車です。。(笑)
 
 
 
 
 
 

ここ、一度見てみたかったんです。
 



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佐伯市まで高速を使いばびゅーんと、
 
 
 
 
現場近くまで来て、おなかすいたけど、
どこも食べるお店がないなぁーと思っていると、海風館とかいうカンバンが・・ 
 
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米水津湾のところにあったので入ってみると、以前マップルで見たような
あつめし丼というのがあったので注文。
まぁマップルとは違うお店だけど・・・と思って後でマップル見なおしたら、
マップルに書いてあるお店そのままでした。(笑)
 
 
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ぶりのづけと、きざんだのりとゴマがふんだんにかかったどんぶり。
ちょっと量が少なかったので、今度来ることがあったら刺身定食がいいかな。。

 
 
 
その先に空の公園というカンバンがあったので、行ってみる事に。
 
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ここ、天気がよかったらめちゃくちゃ気持ちよさそうなところでした。
(残念ながら曇もくもくですが。。)
 
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んで、次は、鶴御崎へ向かってワルサ山を通って
 
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女郎崎まで来たところのトンネル左に、丹賀砲塔砲台のカンバンがありました。

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受付みたいなとこに人がいなかったので、入れないかなーと思っちゃいましたが、
しばらくすると出てこられたので、200円払って資材搬入用のリフトに乗ります。
 
 
 
 
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が、これってめちゃめちゃ怖い。


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登っていくと途中からトンネルが少し折れ曲がってて、その曲がったところのちょい上から見ると
 
下の方は奈落に落ちるかのように下ってるので、先が見えません。
 
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この先が見えなくなるところが怖いのよ~。。(X_X;)
 
よ、ヨコクラのカベ??



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この3本のひも(ワイヤーとも言う)・・で支えてるのね・・・
 
 
 
 
 
登りでは乗りましたが・・・
 
 
 
 
 
 
 
 

なんといっても元々は砲台の弾とかを運ぶリフト(だったかな・・?)
 
たぶん元は旧日本軍が作ったものであろうから、爆発事故を起こした弾のことなんかを考えだすと、
もう信頼性が・・・・    
 
 
す、すいません、ご先祖様。

 
 
 
 
 
 
 
もうどうーにも信用ができずに(笑)  怖くなっちゃって、
 
下りは階段を歩いて降りてしまいました。(爆)

 
 

でも、下りの階段もなかなかの急坂で・・・  (それでも自分の足のほうがまだ信用できる (笑)


 
 
 



さて、砲台の地下とその廊下はとても綺麗でして、
当時としてはいい材料のようで、とてもしっかりと作られた印象です。
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まるでエンジンのピストンみたいに綺麗に作られています。
(ここで水をぎゅーっと注射器のように押し出すんだろうか・・・
 ち、違うカモ・・判らん(汗)
 
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冷却水槽・・・ ら、ラジエターみたいなモン??
 
 
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ここは・・  ぎ、ギャラリーですね、 たぶん。
 
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これは、制御用の水が通る配管かな・・・

たぶん水圧で砲塔を回したり砲身?を上下に動かすんでしょう。
大規模な装置です。



で、砲塔が入っていた場所へ・・・  で、デカッ。
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 みとり図・・・
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こんな大きな砲台が、海を睨らんでいたのよねぇ~。


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当時は大艦巨砲主義でしたので・・ いや、これはそのちょっと前の時代か・・

その後、航空機が出てきて軍艦に対しての圧倒的なアドバンテージが明確になるまでは、
大きな船と巨砲を持つことが戦争に勝つ事。 と解釈されていた訳です。
(大砲で打ち合えば、でっかくて射程距離があるほうがつおいにきまっとろー。。って考えです、
 まぁ、カリブの海賊的なカンジでしょうか・・ ちょと違うか・・)
 
 
で、この砲台は、日本が急に軍備増強して"富国強兵ね"、その後
諸外国の締め付けにあい、 なんとかという条約によって、軍艦を減らすように決められたので、
その廃艦となった巡洋艦の砲塔をリサイクル? したものなんです。。。
(なんとたどたどしい説明だ・・) 
 
 
 
 
 
日本は黒船来襲以降、諸外国の脅威を感じ、 他のアジアみたいに植民地にはされたくない。。 軍備増強するしかない。。

外国は外国で、日本という小さな国が急に強大な軍事力を持ち始めた。。 これは脅威だ。
 
 
 
 
(第二次世界大戦の時には違うのかもしれませんが、  
 最初はこういった考えで、戦争へと突き進んでいったのでしょうか)
 
 
 
 
 
 
 
こんな大きな弾が20キロ先とかまで空を飛んでいくのですから、恐ろしいパワーです。  
 
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あちこちに、敵艦の侵入を防ぐための砲台を作って。
 
この施設は侵略ではなく防衛の為に作られていたんですね。。 
 
まさに、ここがボーダーラインだったのでしょう。 
 
 
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でも、日本を守るために作られたこの砲台で、試射中の暴発により十六名その他の方がなくなるなんて・・・

なんとも悲しいものです。。。



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さぁ、帰るかな・・・
 
 

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怖いので、リフトさんには帰りは無人で降りてもらいました。
さようなら~。。

 
 
 
しかし、歩いて降りるのも、こりゃまた。。
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うっぴゃ~  、 こわいよ~

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手すりにつかまりながら、なんとか降りてきました。 
 
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深く、考えさせられる、遺構ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お し ま い。。 
 
 
 
 
 


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